〇〇〇〇という罠

刻一刻と現職の最終出社日が近づいてきている。

 

職場でお世話になったPAさん方、先輩社員、後輩社員へ徐々に報告と御礼をそろそろ伝え終わるところだ。

 

 

現在私が所属している職場には、約50名近くの従業員が勤めている。

その従業員全員に対して面と向かって一人ひとり声掛けては、

報告と御礼、そしてお店が忙しい時に申し訳ないという言葉を伝えた。

 

色々と伝えていると皆、

「おめでとう!決まったんだね!

良かったね!頑張ってね!

身体に気をつけてね!夢が叶ったんだね!」など、

ありがたいことにたくさんの嬉しい言葉をかけていただいた。

 

些細なことだがそれが本当に嬉しくて嬉しくて話しているうちに涙が出そうになるくらい嬉しかった。

 

中でも一番嬉しかった瞬間は、

教育トレーナーの方に報告と御礼を伝えに行った時だった。

 

トレーナーの方は働いている職種が違う為、

『一緒に働く』ということが絶対になかったからこそ、

私のことを一歩引いた位置でいつも見てくれていた。

 

内容は長くなる為割愛するが、

他人から見た、田口 海

自分から見た、田口 海

は全く別物で良くも悪くも「こういう風に見えていたんだ」と気付かされることが本当に多い。

 

だから【思い込み】って良くないんだよな笑

 

自分がやってきたことや信じてきたこと、

伝え続けてきたこと、話した言葉、行動は、

絶対誰かが必ずどこかで見ているということ。

 

その答え合わせができるのはもしかしたら何か区切りをつける時や最期の時にしかできないことなのかもしれない。

 

 

私の場合、

現職を離れる決断をしたことで伝えてもらったと思う。

 

 

思い返せば大学四年。

四送会(四年生を送る会)で後輩部員から色紙を頂いた時も同じ感覚だったな。

 

色紙を見て、

後輩からのメッセージを見て、

「あぁ、俺がやってきたことって間違ってなかったな。

やっぱり見てくれてる人はちゃんと見てたんだな。」っと、

その時も区切りが付く瞬間に答え合わせができた。

 

 

結局、

『何かをする』『何かを言う』

は、後になって正しかったのかどうかがわかるもので、

点と点が繋がるってこういうことなんだと思う。

 

振り返っても点と点が繋がらなかった!

なんていう経験ってないと思うんだよね。

 

どれだけ線をたくさん引けるかだと思っているから、

どんなことしても最終的には

あの時の決断があったから、

あの時の失敗があったから、っと

失敗すらも点と点で結びつくようになっている気がしてきた。

 

 

だから何か物事をする前から、

決め付ける

思い込む

という思考自体がナンセンスなんだろうね。

 

 

それが人間の脳の【罠】であり、

【洗脳】されているとでもこの場では言っておこう。

 

 

できない理由は探さなくていい、

成功した、しなかった

かっこいい、かっこよくない

すごい、すごくない

なんて最期になれば答えがわかる!

逆にいうと最期にならないと答えはわからない!

 

見ている人は必ずどこかで見ている。

思い込みの罠を取っ払って、やってみたらいいよ。

 

 

やってみたらきっとその答えがわかるから…。

 

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いつも最後まで読んでいただきありがとうございます😊

 

また来週もよろしくお願いします🙇‍♀️