〇〇〇〇という罠

刻一刻と現職の最終出社日が近づいてきている。

 

職場でお世話になったPAさん方、先輩社員、後輩社員へ徐々に報告と御礼をそろそろ伝え終わるところだ。

 

 

現在私が所属している職場には、約50名近くの従業員が勤めている。

その従業員全員に対して面と向かって一人ひとり声掛けては、

報告と御礼、そしてお店が忙しい時に申し訳ないという言葉を伝えた。

 

色々と伝えていると皆、

「おめでとう!決まったんだね!

良かったね!頑張ってね!

身体に気をつけてね!夢が叶ったんだね!」など、

ありがたいことにたくさんの嬉しい言葉をかけていただいた。

 

些細なことだがそれが本当に嬉しくて嬉しくて話しているうちに涙が出そうになるくらい嬉しかった。

 

中でも一番嬉しかった瞬間は、

教育トレーナーの方に報告と御礼を伝えに行った時だった。

 

トレーナーの方は働いている職種が違う為、

『一緒に働く』ということが絶対になかったからこそ、

私のことを一歩引いた位置でいつも見てくれていた。

 

内容は長くなる為割愛するが、

他人から見た、田口 海

自分から見た、田口 海

は全く別物で良くも悪くも「こういう風に見えていたんだ」と気付かされることが本当に多い。

 

だから【思い込み】って良くないんだよな笑

 

自分がやってきたことや信じてきたこと、

伝え続けてきたこと、話した言葉、行動は、

絶対誰かが必ずどこかで見ているということ。

 

その答え合わせができるのはもしかしたら何か区切りをつける時や最期の時にしかできないことなのかもしれない。

 

 

私の場合、

現職を離れる決断をしたことで伝えてもらったと思う。

 

 

思い返せば大学四年。

四送会(四年生を送る会)で後輩部員から色紙を頂いた時も同じ感覚だったな。

 

色紙を見て、

後輩からのメッセージを見て、

「あぁ、俺がやってきたことって間違ってなかったな。

やっぱり見てくれてる人はちゃんと見てたんだな。」っと、

その時も区切りが付く瞬間に答え合わせができた。

 

 

結局、

『何かをする』『何かを言う』

は、後になって正しかったのかどうかがわかるもので、

点と点が繋がるってこういうことなんだと思う。

 

振り返っても点と点が繋がらなかった!

なんていう経験ってないと思うんだよね。

 

どれだけ線をたくさん引けるかだと思っているから、

どんなことしても最終的には

あの時の決断があったから、

あの時の失敗があったから、っと

失敗すらも点と点で結びつくようになっている気がしてきた。

 

 

だから何か物事をする前から、

決め付ける

思い込む

という思考自体がナンセンスなんだろうね。

 

 

それが人間の脳の【罠】であり、

【洗脳】されているとでもこの場では言っておこう。

 

 

できない理由は探さなくていい、

成功した、しなかった

かっこいい、かっこよくない

すごい、すごくない

なんて最期になれば答えがわかる!

逆にいうと最期にならないと答えはわからない!

 

見ている人は必ずどこかで見ている。

思い込みの罠を取っ払って、やってみたらいいよ。

 

 

やってみたらきっとその答えがわかるから…。

 

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いつも最後まで読んでいただきありがとうございます😊

 

また来週もよろしくお願いします🙇‍♀️

目標と目的の違いとは

そういえば、先日ビッグニュースがありましたね。

 

大谷翔平選手の次のステージが決まりました。

ロサンゼルエンジェルス→ロサンゼルスドジャースだそうです。

 

野球に関してはあまり詳しくないので、移籍の意図や背景などはよくわかりませんが

世間の反応を見るとすごい移籍だということはど素人の私にも伝わりました笑

 

 

この移籍を決断するにあたって大谷選手の目標と目的は一体なんだったのでしょうか・・・。

まだ、詳細を伺っている会見等を拝見していないため、わかりませんがとても気になります。

なぜならいま、私がこれから記載するのはこの『目標と目的』についてだからです。

 

 

目標と目的の違いって、そもそもなんでしょうか。

意味を辞書で調べてみました。

 

⚪︎目標:そこまでいこう、なしとげようとして設けた目当て

⚪︎目的:行為において目指すもの、それのために、またそれに向けて行為が行われ、実現が求められるもの

 

だそうです。

 

???

 

ですよね笑

 

私も最近まで目標と目的の違いがよくわかっていませんでした。

最近それを学んだのでまたアウトプットさせてください。

 

 

目標は、 意識

目的は、 意志

このように意味を置き換えるとどうでしょう。少しはイメージしやすくなりますか?

 

もっとわかりやすくします。

 

意識(目標)=目の前の何かを成し遂げたいこと

意志(目的)=先の何かを成し遂げたいこと(このことをよく人は  と言います。)

 

意識(目標)は常に動くもの(変わるもの)で、意志(目的)は常に動かないもの(変わらないもの)となります。

 

だから意志(目的)さえ固まっていればあとは意識(目標)を決めて行動し続けるのみです。

そして、意識(目標)は変わっていいんです。

 

目標(意識)、よく変わりますよね?

例えばですが、

「明日、6時に起きて30分ランニングする!!!」という目標(意識)をあなたが立てたとします。

走ってる時、気持ちが良いからランニング時間を30分→1時間に変えたりすること、ありませんか?

反対に、朝起きれないから6時起床→7時起床に変えたりすこともありませんか?

朝寒くて布団から出れなかった...、昨夜飲みすぎて起きれなかった...とか。

 

きっとあると思います。

 

 

でも目標(意識)は常に動くもの、変わるものなので変わっていいのです。

変えてしまったことに対してよく罪悪感を抱く方もいます。

「あぁ、寝坊して起きるの遅くなってしまった・・」

起きるの遅くても、意志(目的)に向かってその瞬間から動き始めているあなたは前進しているといえます。

意識が変わっても意志が変わらなければ間違いなく、前進はしています。

 

 

結局何が言いたいの?ってとこですが、

 

何が起きてもブレない目的(意志)を持とう。

周りと比べる必要はなく、焦る必要もない。

自分のペースで進もう。

 

です。

 

生きているとどうしても他人と比べてしまいます。それは仕方がありません。

現代はSNSが発達し、人との差が可視化しやすくなりました。

思っていなくても、無意識に差を感じてしまっています。

 

でもあなたの目的(意志)はその人に認められることですか?追い抜くことですか?

違いますよね?

本当に先に成し遂げたい、目的(意志)はなんですか?

 

ブレない目的がある人は強いです。

だから目標(意識)はブレてもいい、変わってもいいです。

なぜなら目指すべき目的(意志)は一切変わっていないからです。

 

一直線じゃなくても大丈夫です。

ある人は色々と寄り道してグネグネの線かもしれません。

それでも目的は一つです!

 

 

いまの私の目的(意志)は、

 

 

「夢を持つことの大切さを伝えること、

サポートすること」

 

 

です。

 

これを成し遂げることこそが今ここに私が生きている意味であり、使命だと感じています。

 

 

 

以上です。

今週もありがとうございました!

またよろしくお願いします。

 

最近、テーマ選定に悩むのでお題、あれば教えてください。

お待ちしています。

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↑大谷選手のプレーを観戦した時。

また見に行きたいですね✨

 

 

 

 

 

 

【超有料級】メンタルは整えるものです。

今年も1ヶ月となりました。

早いですね…。

毎年毎年同じことを思い、感じていると思います。

 

1年経つの早いな…っと。

 

やはり時間は有限です。今を生き、この瞬間を大事に、1日1秒を大切にしていきたいですね!

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↑先日、綺麗な夕陽が見れました。

これだけで幸せな気分になれます。

 

 

 

 

 

 

さて!いきなり質問です。

下の画像(円)を見て下さい。

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一番最初にどこに目がいきましたか?

 

 

 

 

 

対面であれば聞きたいのですが文章ですので答え言いますね。

 

 

 

A. 円の隙間に目がいきませんでしたか?

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もしそうでなかった方もこのあと大事なことを伝えますのでお付き合い下さい。

 

 

恐らくほとんどの方が円の隙間(繋がっていない欠けている部分)に目がいったと思います。

実際に私はそうでした。

 

 

つまり何が言いたいかというと、

人は生きていく上で、

「足りない部分」や「欠けている部分」を潜在的に探しては気にし、意識してしまいます。

これに関しては全く問題ありませんし、OKです。

 

しかしスポーツの試合(勝負事)になると、

この意識によって隙ができてしまうのでNGなのです。

 

 

だから大谷翔平選手はWBC決勝のアメリカ戦前、

ロッカールームで選手、スタッフ全員にこんなこと言いました。

皆さんもご存知の通りあの言葉です。

 

「憧れるのをやめましょう」

「誰もが知っている選手がいる。

けど僕たちはトップになるためにきている。

だから今日だけは勝つことだけ考えていきましょう。」

 

こう言いましたね。

 

ここで話を整理したいので少し戻します。

 

 

先ほど皆さん(そうではない方もいますが)は、

画像を見て円の欠けている部分に一番最初、目に入りましたね。

そして、

人は生きていく上で足りない部分や欠けている部分を潜在的に探しては気にして、意識していると言いましたね。

 

 

WBCの決勝の舞台を想像してみてください。

 

対戦相手は世界最強のアメリカ合衆国

球場はアメリカでドアウェー。

球場見渡しても日本の応援が少ない。

 

そうなんです。

この時点で自分たちが今までやってきたことに意識を集中していないですよね。

球場見ても足りない部分(日本の応援が少ない)に目がいってしまうんです。

 

スポーツという一発勝負の勝負事では絶対にこの心理的状況はNGなのです。

 

大谷選手はこの心理的状況をあの一言で変えました。

 

 

これ、すごくないですか??✨

 

 

スポーツだけでなく、

この心理や考え方は様々なことに活きることがあります。

 

大きな壁にぶつかっている時。

大きなことに挑戦しようとする時。

仕事でうまくいかない時。

 

何かと自分に足りない部分やできない部分、不安に感じる部分に目がいきがちですよね。

先ほども上述しましたが、

不安に感じて怯えたり、足りない部分に関して考えることは全く問題ありません。

 

そのような状態になったときは以下3つを意識してみて下さい。

 

❶呼吸

❷目線

❸言葉・行動

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これだけを意識するだけで考え方が劇的に変わります。

まずメンタルは整えるものだと思って下さい。

 

大きなことに挑戦する前、不安になり怯えますよね。

仕事で大きな失敗をして、落ち込みますよね。

呼吸、目線、言葉・行動で安心させてあげて下さい。

 

 

❶呼吸

鼻からゆっくり大きく吸って、止めて、ゆっくり口から吐きます。

これだけで心は整います。

また、普段皆さんが「はぁ…。落ち着く…。」という瞬間はどんな時ですか?

私の場合は、入浴している時・サウナ後の外気浴で整っている時・お香の匂いを嗅いでいる時 が安らぐ瞬間であり落ち着く瞬間です。

その落ち着いている瞬間の呼吸と同じ呼吸ができれば、いつでもどこでも呼吸一つで安心できます!!

❷目線

心が乱れたら目線を変えます。必ず戻ってくる目線を予め決めておいて下さい。乱れた瞬間、決めた目線に戻ることを意識します。

❸言葉・行動

声に出して自分に言い聞かせて下さい。

「私は強い。私はできる。」

魔法の言葉のように一瞬にして催眠術にかかります。

言葉って不思議で、声に発すると脳が反応してパワーがでるそうですよ。

さらに「よし!」「よく頑張った!」っと、

自分を声に出して称賛してあげて下さい。

 

 

とにかく逃げ道を作ってあげることです。

辛かったり、きつかったらまず逃げる(回避)します。

ここでいう逃げるとは、positive timeoutです。

仮にあなたの燃料が20ℓしか入らないとします。

20ℓ以上走り続けると当たり前ですがガス欠しますよね?

車はガス欠する前にガソリンを入れて満タンにします。

positive timeoutはそれと同じでガス欠する前にしっかりとガソリンを入れて下さい。

たとえライバルの燃料が40ℓだとしてもです。

目的(意志)さえ明確に定まっていれば必ず走り続けられます。

 

だから辛くなったら一度positive timeoutを取る。

そして、

呼吸を整え、目線を整え、言葉・行動で自分を称賛して下さい、安心させて下さい。

 

 

本当は実際にトレーニングをしながら体感してもらいたいのですがそれができません。

難しく、堅苦しい説明になってしまいごめんなさい。

 

 

実はこの間、ある場所でメンタルトレーニングを体感してきました。

 

その内容を自分なりに噛み砕いて、アウトプットして、自分のモノにしたかったです。

こんな偉そうに書いてきましたが全て教えてもらったことです😆

 

まだまだたくさんあります。

気になる方は田口塾を開講しますのでお声がけ下さい。

もちろん無料ですよ😆😆😆

 

 

あまり語りすぎると熱くなってしまうのでここまでにしておきます。

(既に書きすぎました…💦)

 

田口のアウトプットにお付き合い頂きありがとうございました!

 

また来週もよろしくお願いします🙇‍♀️

幸せの尺度について

有難いことに、

「最近は連ドラの撮影ですか」ってくらい毎日スケジュールが詰まっています。

私史上、

最も多忙な日々を過ごしている気がします。

 

ですがすごく毎日楽しいです。

これくらいがちょうど良いと思えるほど楽しんでいます。

 

 

こんな日々を過ごせているのは間違いなく、

てつ(大学時代のサッカー部同期)と陸(現職の同期)、ジートピア(カプセルホテル)のお陰です。

 

本当にありがとうございます。

まだまだお世話になります。笑

 

 

さて、

急に話しが変わりますが、

皆さんは今幸せですか?

 

私は幸せです。

 

なぜなら、

五体満足でこの世に生まれ、不自由なく今この瞬間を生きることができるからです。

 

 

先日、

母にこんなことを言われました。

 

「そんな高い旅館に行かなくていい。

若いうちから高い水準ばかり見ていると下を見れなくなるよ」

 

私は1泊約5万円の旅館に1人で行こうとしていました。

そのことを伝えたところ、ああいう返答が返ってきました。

 

なぜだかわかりませんが、スッと受け止められた自分がそこにはいました。

 

 

幸せの尺度って、

もしかしたらどれだけドン底を見ているか、経験しているかで変わるかもしれない、そう思いました。

高い水準ばかり求めてしまうと、

尺度が狭くなる傾向にあるのかもしれません。

 

考えてみると確かにそうだなと思います。

家賃10万円の賃貸から、

家賃2万円の賃貸に生活水準下げられますか?って話しですよね…。

極端な例ですが、

一度美味しい経験をするとなかなかその水準から下げづらいのが人間です。

 

 

だから若いうちは幸せの尺度を広げる為にも、

泥臭く生きること、求めすぎないこと、生活水準をあえて下げてみることもいいかもしれません。

 

私は有難いことに幼い頃からバングラデシュのとんでもない環境を少し経験していました。

そのおかげもあってか、

「生きたくても生きられない人もいる」

「ご飯を食べたくても満足に食べられない人もいる」

「子どもの頃から働かなければいけない人もいる」

「水道水が飲めるのは当たり前ではない」

「物乞いをしなければいけない人もいる」

 

というように世界最貧国の生活水準を見ていたから日本での生活がどれだけありがたいことなのかが実感できるようになりました。

同時に、目の前の当たり前は当たり前ではないこともある。と感じるようにもなりました。

そういう風に感じ取るようになってからは、

感覚が麻痺しづらくなったような気がします。

 

当たり前が当たり前じゃなくなった瞬間、

今までの高い生活水準(不自由ない生活)からそれより低い生活水準になった瞬間に幸福度は一気に下がります(と思っています)。

同時にストレスも溜まっていきます。

今までの幸せに感じていたことが幸せに感じられなくなるから…。もっと、もっと、、もっと、、、というように・・・。

ある意味「お金」と一緒かもしれません。

 

お金をたくさん持っている=幸せである が科学的にNOTであると示されていますよね。

高級レストランに行く、高級サウナに行く、高級ホテルに泊まる、高級車を買う、高級品を身に着ける・・など、

今の私には必要ないのかな、、、っと思います。

が、そういう生活も憧れますけどね。

 

 

 

生活水準を下げろと言うわけではありません。

下を見れば見るだけ、普段の有り難みを実感できて、こういう生き方もあるんだ、と

物差しの長さを広げることができます。

 

もう少し歳取って、

一通りやり切ってから良い宿にでも泊まってゆっくりしますか〜〜!

それまでに生きていればの話ですが…😆

 

まだまだくたばりませんよー。

 

 

 

今週も最後までありがとうございました。

また来週もよろしくお願いします!

 

 

【指導実践】中学生相手に難しいと感じる部分とは。

いま、

教えることの難しさを痛感しています。

 

本日(11/13)も茅ヶ崎市赤羽根中学校サッカー部の指導をしてきました。

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1.2年生で部員は約20名弱です。

一人ひとり直接コーチングに入りたいのですがなかなかできません。

 

また中学校は最終下校が決められていてこの冬の時期は一番短い「17時」に設定されています。

 

 

元々の練習時間が短いというのも難しさを感じる要因の一つでしょうか。

 

 

しかし中学生のコーチングにおいて、

私が一番難しいと感じていて且つ、

どこまで関わっていいのか迷っていることがあります。

 

 

それは、

 

「部活動」

 

の定義です。

これを履き違えてしまうと生徒との距離が離れてしまい、

一方通行なコーチングになってしまうのではないか、と物凄く悩んでいます。

 

 

中学カテゴリーの部活動には様々な生徒がいます。

■部活で上を目指したい生徒

■高校ではもっと上のカテゴリーでやりたいと感じている生徒

■運動が初心者な生徒

■反抗期な生徒

■惰性で部活に入っている生徒

 

様々な生徒が集まるのが「部活動」だと私は思います。

※あくまでも私の意見であり、見解です。間違っていたら教えてください…🙇‍♀️そのまま進めます。

 

 

そのような特徴がある部活動において、

どこまでのレベルを求めてコーチングすれば良いのかが難しく感じています。

 

サッカーが上手くなりたければはっきり言って、

部活ではなくクラブチームで活動した方が上手くなります(その選手次第ですが…)。

 

 

クラブチームではなくて部活を選んで入部した生徒に対して、

サッカーの技術面や戦術面、激しさや厳しさ等、求めていいのでしょうか。

 

 

私が1(いち)説明したら10(じゅう)できる生徒ではありませんし、1伝えて1できるかどうかです。

 

 

非常に難しいです。

 

「なんでできないんだ!」

とは言えませんよね。笑

 

 

私の経験不足であることは言うまでもありませんが、

見る現場のカテゴリーによってこんなにも変わってしまうのかと痛感しています。

 

 

私もそうでしたが、

特に中学生は思春期であり、もっとも育ち盛りです。

 

一番物事にフォーカスしづらい年代だと思っています。

 

 

 

だからこそ、

今日の練習終わりのミーティングで生徒たちにこのような質問を問いかけました。

 

「何のために練習してますか?」

 

そうすると生徒たちからは、

 

「強くなるためです」

「サッカーが上手くなりたいからです」

「試合に勝ちたいからです」

 

このような答えが返ってきました。

 

私はその回答に対して、

「そうだよね!

皆んなはもう、やるべきことはわかっているし、知っているし、それをすることができます。けれどそれをやらないだけです。」

っと伝えました。

 

できないのではなく、やらないだけです。

 

当時の私はそれができていませんでした。

だから生徒たちには自分たちで気がついてほしいです。

 

私たち大人ができることは、

生徒たちにキッカケを与えてあげることだけだと思います。

 

 

 

私は教員ではありません。

 

一般企業に勤めながらこうやってサッカーを通じて生徒と触れ合える機会を下さった先生には感謝です。

 

 

これからも私にできることをやっていければいいなと思います。

 

 

 

今週はここまでとします。

 

ありがとうございました🙇‍♀️

 

 

10年前と変わったことそして、変わらないこと

中学サッカー。

僕のサッカーキャリアで唯一戻りたい時間、

取り戻したい時間はと聞かれれば必ずこの時期と答えるだろう。

 

理由は、

「天狗になっていた」時期だったからだ。

 

天狗になっていた=僕が一番うまいと思い込んでいた=本気で練習に取り組んでいなかった、サッカーと向き合っていなかった。

 

僕も当時は背の低い中学生。

「モテたい」

 

内心思いつつもそれを隠し切れず女の子の前でめちゃくちゃアピールしていたのは思い返すだけで恥ずかしい。

 

 

今でもモテ期のピークは中学生。

この時期を超えるモテ期は生まれ変わってもこない。

 

サッカー部では一番上手くて、

学校の窓から見ていた女の子からも注目されて、

調子に乗っていたんだろう。

 

今考えるとダサいことをしていたなぁと感じる。

 

 

格好なんかつけないでもっと

直向きに、

泥臭く、

先を見据えて、

 

頑張れば良かったなと思う。

タラレバだけどね。笑

 

 

とは言いつつも、

「ハレルヤーチャンス」を使わない限りは過去になんて戻れない(※ハレルヤーチャンス知らない人はプロポーズ大作戦を見てもらいたい)。

 

できることは、

「今を生きること」

それしかないのである。

 

 

先日、

中学生の頃大変お世話になった恩師の方と約7年振りに再開した。

 

それも僕が中学サッカー最後の大会で負けたグラウンド、

茅ヶ崎市立第一中学校で。

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(↑2012年の夏☀️)

一中のグラウンドに足を踏み入れたのもその試合以来。

11年振りだった。

 

 

懐かしい思い出がブワーッと一気に蘇ってきた。

 

 

その日はサッカーをしに行くのではなく観客として中体連の試合を見に行った。

26歳。プレーする側から見る側に立場が変わったか…

 

そう感じた瞬間でもあった。

 

しかし残念なことに指導の現場は何一つ変わっていなかった。

 

正直、

これでは「茅ヶ崎のレベルは上がらないな」と感じた。

 

 

こればかりは意見が分かれると思う。

実際に現場に行ってそのように感じた理由を2つあげよう。

 

①10年前と指導現場が変わっていないこと。

これはつまりどういうことかというと、

 

「新しい、若い、指導者がいない、少ない」=「教員不足」

 

教員も人手不足で一人ひとりの業務負担が大きいそうだ。

そうなると部活動を見ている時間もない。

 

給料も若い頃は一般企業よりも少ないか…

 

 

そのため、

教員の道へ進む若い人材はどんどん減っていく一方である。

 

この現状が続く限り、

教員が顧問を務めるサッカー指導の現場においてサッカーのレベルを底上げする以前の問題だ。

 

時が経てば教員が部活動の顧問を務める時代は終わり、

外部コーチを雇うという形で部活動を支えるようになるか。

 

 

兎にも角にも指導現場は10年前と何一つ変わっていない。

選手に伝える言葉、試合中の指示、選手(生徒)たちとの関わり方などなど。

この歳になったからなのか、

10年ぶりに見たからなのか、

わからないが細かいところがよく見えるようになった、見えた気がする。

 

②部員数が少ない。

これはつまりどういうことかというと、

 

「子どもの数が少ない」=「少子高齢化が進んでいる」

 

これが一番の大きな問題だ。

もはや茅ヶ崎市だけでなく、

少子高齢化は社会的問題である。

 

母校も現在、1.2年生合わせて部員数が約14人程度。

 

私が在籍していた時は約30人くらいはいた記憶がある。

それに比べるとだいぶ減っている。

 

中には部員数が足りなくなって「サッカー部が廃部」となってしまった学校もあるそう。

 

仕方がないこととはいえ、

とても残念だ…

 

 

①指導現場が変わっていないこと が10年前と変わらないこと。

②部員数が減っていること が10年前と変わってしまったこと。

 

 

これら2つが10年前と変わったことそして、変わらないことであり、

茅ヶ崎市のサッカーレベルがこれ以上上がらないと感じた理由である。

 

 

どうにかしたい…

どうにかしてあげたい…

自分が育った地域に何か貢献したい…

できることはないか…

 

 

考えた結果、

中学生の時にお世話になった恩師が勤めている学校で少しサッカー部のコーチングをさせていただけることになった。

 

 

JOCVが決まっているため、

年内という限られた時間ではあるが、

 

選手のため、

茅ヶ崎市のサッカーレベル底上げのため、

 

 

できることをやろうと頭を下げてお願いした。

 

 

 

〜先週の一コマ〜

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↑先週、会社の後輩たちを集めてフットサルをした。

こんなにも人数が集まるとは思ってもなく、

みんなが楽しめる機会になって本当に嬉しかった。

 

仕事ばかりしてないでこういう束の間の息抜きを、

スポーツを通じてできることが素晴らしい。

 

育った環境や言葉、文化、宗教、全てのバックグラウンドはスポーツには関係ない。

 

 

スポーツっていいな〜。

 

 

 

今週も最後までお付き合いいただきありがとうございます。

 

また来週もよろしくお願いします🙇‍♀️

僕が青年海外協力隊に参加する理由(わけ)

10月21日(土)18:30。

茅ヶ崎の夜空に大きな花火が打ち上がった。

 

およそ1時間くらい。

花火は止まることなくサザンオールスターズの名曲と共に茅ヶ崎の夜空を彩った。

 

なんとこの日は私の26歳の誕生日。

 

仕事を終え、

急いで地元へ帰省した。

 

辻堂駅に18:37着。

なんとか間に合い、

19:00には実家の屋上で約30分間花火を見れた。

 

花火はその時の感情によって見え方が変わると聞いたことがある。

 

当時の私の感情ではとても儚く見えたが、希望の花火が打ち上がっているようにも見えた。

 

屋上に行くと小さい時お世話になった同じ住人の方がたくさんいて、

「かい〜〜」「戻ってきたんだって〜?」「大人になったね」「かっこよくなったね」「お母さん、お父さんから聞いてるよ」とか…

温かい声をかけてもらった。

 

ホッコリした瞬間だった。

 

 

 

さてと。

SNSでもリリースした通り、

青年海外協力隊のサッカー隊員としてバングラデシュへ赴任することが決まった。

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では、

どうして青年海外協力隊なのか。

理由は5つある。

 

 

①海外で勝負がしてみたい。

 

②人としての「深み」をもっと出したい。

 

③発展途上の子どもたちにとって「恩師」という存在になってあげたい。繋がりを作りたい。

 

④夢を持つことの大切さを伝えたい。

 

⑤環境を360℃変えて自分を変えたい。

 

 

これらがオフィシャルにできる手段が青年海外協力隊で、

得意であるサッカーを通じてやりたいことができる。

 

別に特別な理由とかはなかった。

 

もちろん日本でもやろうと思えば全然できる手段はあった。

有難いことにそのようなお話もいただいていた。

 

 

しかし私は本気で自分を変えたかったし本気で向き合いたかった。

それも日本とは環境が全く異なる海外で。

 

日本と比べて生活水準は著しく下がる。

話す言語や文化、宗教、食、物乞い、育ってきた環境が異なり、バックグラウンドも異なる。

もちろんインフラも整備されていない。

停電なんて当たり前、トイレは汚い、交通ルールもめちゃくちゃ、お湯が出るとは限らない。

 

本当に日本での当たり前だったことが向こうでは当たり前ではなくなる。

毎日見る景色、食べる物、嗅ぐ匂い、聞く音。

全く異なる。

 

五感が研ぎ澄まされ気を緩める瞬間はほとんどない。

 

その厳しい環境に身を置くことが自分を変えるキッカケとなり強烈な経験となる。

そう信じてチャレンジすることを決断した。

 

 

ここまで偉そうに言っているが本当は今でも自分の決断に首を横に振りそうな時がある。

内心めちゃくちゃビビってる。

 

現職に不満とかは一切なかったし、

評価だって良かった。

後輩も私のことを慕ってくれて面倒を見てあげることがやりがいだった。

近くの同期とも仲が良く本当に楽しかった。

(↓同期たちと先日ディズニーランドへ行った時)

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地元に戻れば帰る家があって、どんなに久しぶりに会ってもいじってくれる友人がたくさんいた。

(いじってくれる中学の同級生たち↓)

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休みの日は早朝からサーフィン。

良い波乗ってランチでカレーや焼肉を食べる。

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温泉に入る。

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飲みたい人と飲んで盛り上がる。

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有難いことに給料も何不自由なく生活できるくらいはもらっていた。

 

 

全く変える必要がないくらいの環境だったし、

友だちにも恵まれてた。

出会いやご縁にも恵まれていた。

 

いわゆる「コンフォートゾーン」というポジションにいた。

 

不自由なく、ストレスなく過ごせる。

めちゃくちゃ楽しかった。

わざわざこの生活を変える必要がどこにもなかった。

 

けど、

それを変えた。

 

私は弱い人間だということを自分が一番知っている。

 

弱い自分が本気で変わるためにどうすればいいかと考え辿り着いた答えが、

「環境をガラッと変える」ことだった。

 

 

この選択が正しい!とは限らない。

国際ボランティアの為給料もほぼない。

 

多少の支給はあっても今の給料の3分の1にも満たない。

 

どう考えても自分で自分の首を絞める行動だろう。

 

 

20代も後半に差し掛かった。

仕事もこれから!って時だったし、

プライベートもうまくいっていた。

 

正しい選択をするのではなく、

選んだ道や選択を正解にする。

 

それが一番大事なことなのではないかと自分に言い聞かせて大きな決断をした。

 

 

年明けてからすぐ国内の訓練に入り、

訓練が終わって数週間後には日本を離れる予定だ。

 

 

バタバタな毎日だが、

出発前にできるだけ私の「タカラモノ」である友人に会えたら嬉しいなと思う。

 

 

 

長くなりました。

ここまでまさか付き合ってくださった方はいないと思っています。

 

いたとしたら…

それは完全に私のファンですね笑

ファン1号お待ちしております(小声)。

 

最後までうるさいよ、ということでここまでとします。

 

ありがとうございました🙇‍♀️

また来週もよろしくお願いします👍