10月21日(土)18:30。
茅ヶ崎の夜空に大きな花火が打ち上がった。
およそ1時間くらい。
花火は止まることなくサザンオールスターズの名曲と共に茅ヶ崎の夜空を彩った。
なんとこの日は私の26歳の誕生日。
仕事を終え、
急いで地元へ帰省した。
辻堂駅に18:37着。
なんとか間に合い、
19:00には実家の屋上で約30分間花火を見れた。
花火はその時の感情によって見え方が変わると聞いたことがある。
当時の私の感情ではとても儚く見えたが、希望の花火が打ち上がっているようにも見えた。
屋上に行くと小さい時お世話になった同じ住人の方がたくさんいて、
「かい〜〜」「戻ってきたんだって〜?」「大人になったね」「かっこよくなったね」「お母さん、お父さんから聞いてるよ」とか…
温かい声をかけてもらった。
ホッコリした瞬間だった。
さてと。
SNSでもリリースした通り、
青年海外協力隊のサッカー隊員としてバングラデシュへ赴任することが決まった。
では、
どうして青年海外協力隊なのか。
理由は5つある。
①海外で勝負がしてみたい。
②人としての「深み」をもっと出したい。
③発展途上の子どもたちにとって「恩師」という存在になってあげたい。繋がりを作りたい。
④夢を持つことの大切さを伝えたい。
⑤環境を360℃変えて自分を変えたい。
これらがオフィシャルにできる手段が青年海外協力隊で、
得意であるサッカーを通じてやりたいことができる。
別に特別な理由とかはなかった。
もちろん日本でもやろうと思えば全然できる手段はあった。
有難いことにそのようなお話もいただいていた。
しかし私は本気で自分を変えたかったし本気で向き合いたかった。
それも日本とは環境が全く異なる海外で。
日本と比べて生活水準は著しく下がる。
話す言語や文化、宗教、食、物乞い、育ってきた環境が異なり、バックグラウンドも異なる。
もちろんインフラも整備されていない。
停電なんて当たり前、トイレは汚い、交通ルールもめちゃくちゃ、お湯が出るとは限らない。
本当に日本での当たり前だったことが向こうでは当たり前ではなくなる。
毎日見る景色、食べる物、嗅ぐ匂い、聞く音。
全く異なる。
五感が研ぎ澄まされ気を緩める瞬間はほとんどない。
その厳しい環境に身を置くことが自分を変えるキッカケとなり強烈な経験となる。
そう信じてチャレンジすることを決断した。
ここまで偉そうに言っているが本当は今でも自分の決断に首を横に振りそうな時がある。
内心めちゃくちゃビビってる。
現職に不満とかは一切なかったし、
評価だって良かった。
後輩も私のことを慕ってくれて面倒を見てあげることがやりがいだった。
近くの同期とも仲が良く本当に楽しかった。
(↓同期たちと先日ディズニーランドへ行った時)
地元に戻れば帰る家があって、どんなに久しぶりに会ってもいじってくれる友人がたくさんいた。
(いじってくれる中学の同級生たち↓)
休みの日は早朝からサーフィン。
良い波乗ってランチでカレーや焼肉を食べる。
温泉に入る。
飲みたい人と飲んで盛り上がる。
有難いことに給料も何不自由なく生活できるくらいはもらっていた。
全く変える必要がないくらいの環境だったし、
友だちにも恵まれてた。
出会いやご縁にも恵まれていた。
いわゆる「コンフォートゾーン」というポジションにいた。
不自由なく、ストレスなく過ごせる。
めちゃくちゃ楽しかった。
わざわざこの生活を変える必要がどこにもなかった。
けど、
それを変えた。
私は弱い人間だということを自分が一番知っている。
弱い自分が本気で変わるためにどうすればいいかと考え辿り着いた答えが、
「環境をガラッと変える」ことだった。
この選択が正しい!とは限らない。
国際ボランティアの為給料もほぼない。
多少の支給はあっても今の給料の3分の1にも満たない。
どう考えても自分で自分の首を絞める行動だろう。
20代も後半に差し掛かった。
仕事もこれから!って時だったし、
プライベートもうまくいっていた。
正しい選択をするのではなく、
選んだ道や選択を正解にする。
それが一番大事なことなのではないかと自分に言い聞かせて大きな決断をした。
年明けてからすぐ国内の訓練に入り、
訓練が終わって数週間後には日本を離れる予定だ。
バタバタな毎日だが、
出発前にできるだけ私の「タカラモノ」である友人に会えたら嬉しいなと思う。
長くなりました。
ここまでまさか付き合ってくださった方はいないと思っています。
いたとしたら…
それは完全に私のファンですね笑
ファン1号お待ちしております(小声)。
最後までうるさいよ、ということでここまでとします。
ありがとうございました🙇♀️
また来週もよろしくお願いします👍